札幌高等裁判所 昭和29年(う)583号 判決 1956年3月30日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
検察官の控訴の趣意は、昭和三〇年一月四日附釧路地方検察庁検事正藤井勝三名義の控訴趣意書に記載するところであるから、ここにこれを引用する。そしてその順序にしたがつて、当裁判所の判断を示すこととする。
第一の一(刑事訴訟法第三三五条第二項の法律上犯罪の成立を妨げる理由の主張に対する判断の理由不備)の論旨について。
原判決は、破壊活動防止法(以下破防法と略称する)が基本的人権を制限するものであるから憲法に違反するとの弁護人の主張に対して単に同法が基本的人権を制限するのであることを理由に憲法違反であるということは正当でないと、憲法第一二条の規定を引いて説明しているに止り、同法による基本的人権の制限が何故に憲法の右条項に適合するものであるかの説明をしていないこと、まさに所論のとおりである。しかしながら、破防法第三八条第二項第二号にあたる罪を公訴事実とする本件において、弁護人の右のような主張が刑事訴訟法第三三五条第二項の法律上犯罪の成立を妨げる理由の主張にあたらないこと、きわめて明白であり、また、そもそも破防法が合憲であるとの原判決の結論を支持する検察官が、原判決の合憲の説明が詳細でない点を挙げて攻撃するのは、その控訴趣意としてとうてい理由ありとするに由ない。
第一の二(最高裁判所の判決の趣旨に反して憲法および破防法の解釈を誤る)の論旨について。
(イ) 原判決は、冒頭において、本件公訴事実は破防法第三八条第二項第二号にあたるという検察官の主張と同法が基本的人権を制限するから憲法違反であるという弁護人の主張とに答えて、その前段では、単に基本的人権を制限するということだけでは憲法違反と断じがたいとし、その後段では、破防法第三八条第二項第二号の適用としては社会公共の安全福祉に対して重大な害悪を生ぜしめる明白かつ現在の危険の存する場合に限ると結論している。そして、右後段説明中所論のように間接的暗示的な宣伝という文字を使用しているけれども、それは所論のように、間接的暗示的な宣伝文書が破防法第三八条第二項第二号の文書にあたるという法律解釈をしているのではないのである。ただ、直接的明示的でない間接的暗示的な方法も宣伝として効果的な方法として考えられることは社会心理学上一般に承認されるところである、との事実を事実として援用し、また人の内心は一応行為の外形によつて推測されるものであるから真意を誤解されるおそれのあるということも挙げて、刑罰で言論の自由を制限するには慎重でなければならないゆえんの説明をしたにほかならないのである。
(ロ) まず原判決は、明白かつ現在の危険の存在が当該行為とは別個に存在することを要するという趣旨ではなく、所論のように「当該行為がかかる危険性を有するか否かも当該行為自体について判断されねばならない」という趣旨、すなわち、当該行為の内容として考えていることは原判決の全文をよく読めばおのずから明らかである。
そして、憲法前文中論旨に摘示の部分やその第三章における規定の趣旨を十分に検討し、それに破防法第二条、第三条の規定を参照すると、同法第三八条第二項第二号の文書というのは、原判決説明のように、明白かつ現在の危険のあることを要するものと解するのが相当であつて、この結論を非難すべき理由はない。所論昭和二七年八月二九日の最高裁判所判決は地方公務員法に関するものであつて、その説示中に「公共の福祉を害するような行為」という文字を使つているけれども、その具体的案件に即して判決の真意を推測すると、原判決の考え方と必ずしも相容れないものだとは断じがたく、当裁判所は所論のように憲法第二十一条の解釈として判例違反であるとは認めない(最高裁判所昭和二九年一一月二四日大法廷判決に曰く「公共の安全に対し明らかな差し迫つた危険を及ぼすことが予見されるときは」と)。
のみならず、原判決が右のように明白かつ現在の危険云々と判示したのは、右(イ)で述べたように、弁護人の本件罰条たる破防法が憲法違反であるとの主張に対して然らざるゆえんの法律上の判断を与えた説明的のものであつて、それ以下において、果して本件公訴事実の証明があるかどうかを検討し、結局その証明がないとの認定に達したのである。そしてそれは、本件文書は選挙のための宣伝文書にほかならず内乱の正当性、必要性を主張するものではないという意味においてであつて、右にいわゆる明白かつ現在の危険が存在しないという意味においてではないのであり、原審の右法律上の見解が公訴事実の証明なしとの認定を左右したものと見るべき節もないので、仮に右見解が誤つているとしても、それが判決に影響を及ぼすことが明らかだとはいえないのである。
第二(内乱の正当性、必要性を主張した文書でないと誤認)の論旨について。
一、(原判決の事実認定の立場に誤りがありとする点)
原判決は、破防法第三八条第二項第二号の行為が教唆またはせん動の程度にいたらない宣伝行為を意味するものであり、宣伝は一般に不特定多数人を相手とするものであるから被宣伝者は直接にはその文書図画または言動を媒介としてのみ宣伝者の意図を推測し得るものであるとし、それゆえに、その文書、図画、言動の内容が特定思想の宣伝と認められるか否かは、一般社会通常人の能力を基準として客観的に解釈することによつてのみなされねばならない、と共に、また、その前提ないし背景となつた諸々の社会事実中一般に公知の事実とされている事実も考え合せたうえで、右の意味内容を検討する必要がある、と判示している。ところで、所論昭和一九年六月二七日大審院第三刑事部判決は「言論文章ヲ判断スルニ当リテハ其ノ言句ノ末ニ捉ハレズ其ノ全体ヲ通ジ其ノ述作者ガ右ニヨリ如何ナル趣旨ヲ表現セントシタリヤヲ観察シ、之ニヨリテ其ノ趣旨ヲ判断スベキモノトス」というもののようであつて、原判決が右のように一般社会通常人の能力を基準として客観的に解釈すべきものとしたのは、少しもこの大審院の判決の趣旨に反するところはないと解せられるのである。
そして、当裁判所もまた、原判決の上述の立場を正しいとするものであるが、そのいうところの一般社会通常人の能力を基準として客観的に解釈するとは、もとより裁判所みずから自主独立になす判断にほかならないのであるけれども、その判断の誤りなき万全を期するために鑑定の結果を参考資料に供することは少しも差支えないところである。原審が職権で鑑定を命じ所論のように一、現在本件文書を一般社会通常人が読んだ場合にこれを読んだ一般社会通常人が内乱に関連するような社会不安感を抱くか否か 二、昭和二十七年九月、十月(衆議院議員総選挙前後)に於てはどうか 三、鑑定人自身としてはどうか(現在及び昭和二十七年九月十月頃に於て如何)という事項別、すなわち一および二と三とを明らかに区別しているのであつてその措置は原判決の甚だしく矛盾した態度だと、所論のように非難するにあたらない。
二、(本件文書の内容に対する認定に誤りがあるとする点)
まず(一)(二)(三)(原判決は、本件文書が選挙のための宣伝文書と認定されるがゆえに、その反面において内乱罪の実行の正当性または必要性を主張した文書と認めがたいと解しているが、そのような二律相反の関係にあるものではなく、選挙のための宣伝文書であると同時に内乱の実行性および必要性を主張した文書である。原判決は本件文書における国会なる用語に独自の註釈を加え、また議会主義なる用語についても議会万能主義と代えて解しているが、本件文書は議会主義の立場から国会制度の意義と存在理由を承認するものではなく、国会を売国勢力との闘争の場とするものにほかならないという点)。
しかし、原判決は、本件文書がその本旨において選挙のための宣伝文書であること明らかであり内乱の内正当性、必要性を主張するものと断ずることはできないと結論しているのであるが、それは前者と後者とが論理的に二律相反の関係にあるとしたのではなく、事実上後者を認める関係にないとしているのである。
そもそも本件のような文書による宣伝行為の意味内容を解釈するには、直接にはその文書に記載された文字を媒介とし、またそれの前提ないし背景をなす社会的事実中一般に公知の事実とされているところも考え合せて検討する要あること、原判決の説明するとおりである。そして、原判決は、本件文書に依拠してその詳細に説明するような経路で、前示の結論に達したものであつて、当裁判所は所論について検討を加えたが、国会という文字が用いられた真の意味その他について、やはり原判決のような認定が正しいものと考えるので、本件文書が議会主義を排撃することによつて国会制度自体をも否認するものであるとの検察官の所論には賛成しがたい。
(四)(本件文書が如何にして政治的変革を実現しようとしているかという点)
本件文書には「中核自衛隊、抵抗自衛隊、更らにバルチザンの諸君」なる文言があり、原判決は、これを単なるよびかけにすぎぬとし、しかもこれらの実体について一般人は明確な認識を有せずと説明していること、所論のとおりである。これらに関する解説的または報道的記事が普通の新聞に掲載されたとしても、特殊の人は格別とし、一般人としては「明確な」認識をもつにいたつているとは限らないのである。そして、本件のこれに関する文言を今一度みると「中核自衛隊、抵抗自衛隊、更らにバルチザンの諸君。大衆が公正な選挙を勝ち取るよう国民の自由を守り且つ拡大するよう奮闘せよ。」となつている。これによると、中核自衛隊などに対して暴力的な行動で奮闘するよう主張しているものと解釈することは文理上とうてい許されないところである。なお本件文書中には「革命的行動」「革命的闘争」「武装して闘う」「数百数千万の部隊に結集し」「大衆」「奮起」などの文字があるにかかわらず、原判決が前後の文意と文脈を総合して、国会外の広汎な大衆的政治活動の必要を主張したものにすぎないと解し、中核自衛隊などの文字があつても、それを読む一般人が内乱に関連する社会不安感をいだくものでないと結論したのは、前示大審院第三刑事部判決がいうとおり言句の末にとらわれずその全体を通じてそれによつていかなる趣旨を表現しようとするかを観察したのであつて、当裁判所もまたこの立場から右の結論を正しいと支持するものである。
(五)(情勢判断と本件文書の解釈を誤つたとの点)
原判決は、本件文書頒布当時の情勢について所論のとおり判示しているのであるが、しかし、それは、日本共産党が武装革命方式を放棄しかつての平和革命方式に逆転したかどうかということの真相について認定をしているのではなく、一応の表見的現象を公知の事実としてとらえたものであること、その判示自体明らかである。原判決のように公知の事実として認定しているところが、当時の一般社会通常人の認識であつたというにはばからないのである。
そして、原判決が、本件文書の内容が内乱の正当性、必要性を主張したものとは認めることができないとし、その認定は当時の社会情勢を基準としても正しいとしたことが非難される理由のないことは、前記(第二の一)文書解釈の立場についての説明によつて明らかであろう。この場合、右の公知の事実として受けとつたものが、日本共産党機関雑誌などによつて今日法廷で知り得るところと合致しないとしても、そのことは、原判決の本件文書の解釈を誤りとする決定的なものとはならない。日本共産党や共産主義者の政治観や主張がどうであるかということと、本件文書の内容をどう解釈するかということとは全然無関係ではないとしても、本来別個の問題なのである。そして、所論国民評論は通常の経路と方法によつては入手し得ない非公然出版物であり(控訴趣意書第四二丁参照)、また、所論前衛も、当時一部特殊の人を除いては、広く一般人の目にふれその内容がよく理解されたものとは認められないところである。
第三(被告人両名が内乱の罪を実行させる目的を有していた事実を具体的に確認できないと誤認)の論旨について
原判決が、被告人両名において本件文書を頒布したのは内乱を実行させる目的をもつてしたのではなく、専ら選挙戦を日本共産党に有利に展開せんとする目的をもつてしたものであると断定したのは、所論のように後者の目的があることを理由としてその反面前者の目的を認め得ない論理的二律相反の関係にあると解しているのではなく、証拠により事実上前者の目的を認定できない関係にあるとしたものであること、判文上きわめて明白である。そして、当裁判所もまた、原判決挙示の証拠を検討して、その結論を同じくするものである。なるほどこの点に関し、原判決の挙示する証拠の標目を調べてみると、そのうちには論旨に摘示するような文詞、供述が部分的になくはないけれども、これを全体的に評価すれば、右の結論を動かすに足りないものと理解せられるのである。被告人両名が、日本共産党の党員であつて平素その機関紙などを読みその趣旨を認識了解し、進んでそれを支持する者であるとしても、そのことと、具体的行動における特定の目的とは必ずしも必然的に一致するものとはいい得ない。人の行動は、時に応じてその当面の目的というものがあるのであつて、常に千篇一律を堅持するという次第ではないからである。被告人両名が本件文書を頒布したのは、もつぱら選挙戦を日本共産党に有利に展開せんとする目的をもつてしたのであつて、内乱を実行させる目的をもつてしたのではないとする、原判決は、所論の諸点を十分考えてみても、それが所論のように証拠判断を誤つたものとは、当裁判所は認め得ない。
要するに、検察官の控訴の趣意はすべて理由がないものとし、刑事訴訟法第三九六条により主文のとおり判決をする。
(裁判長裁判官 荻野益三郎 裁判官 水島亀松 中村義正)